サバゲーにおいての現状として撃たれたときの判定(ヒット判定)は自己申告である
このヒット判定が自己申告であるが故にゾンビが現れる
サバゲーにおけるゾンビとは一言で言うと「死なないやつ」である
このゾンビが現れることで気持ちよくゲームができなくなることがある
ただこのゾンビについて少し考えてみるとゾンビではないゾンビがいる場合がある
どういうことかと言うと、「認識と事実の相違」
わかりやすいように撃っている側の認識と撃たれている側の認識を書き出してみる
撃っている側の認識
- ヒットした
- ヒットしなかった
- ヒットしたと思った(誤った認識)
撃たれている側の認識
- ヒットした
- ヒットしなかった
- ヒットしたが気付かなかった(認識できない)
2については双方ともヒットしていない認識だから問題ない
1はどうだろう
双方ともヒットした認識ではあるが
ヒットコールが
あるとき と ないとき がある
ここで ないとき が悪意のゾンビである
(法律用語としての悪意は、ある事実について知っていることをいう。これに対して、ある事実について知らないことは善意という。この用法における善意・悪意は道徳的価値判断とは無関係である。-wikipediaより引用 )
3はどうだろう
撃っている側は
ヒットしたと思いこんでいる
撃たれている側は
ヒットしたが気付いていない
思いこみ と 気付いていない ことが
善意のゾンビを生み出してしまっている
(気付かないフリは悪意、気付けないことは認識できないから善意)
撃っている側は思いこみと事実の違いに気付かず相手をゾンビではないのにゾンビとみなしてしまうことがある
撃たれている側は当たっていても気付かない(認識できない)ならゾンビではないがゾンビと思われている
つまり、1の悪意のゾンビはルールの強化やモラルの向上でなくなる可能性はあるが
3の善意のゾンビは自己申告制であるが故にどうしようもないところである
何が言いたいかというと
上記のような事柄が連続的に起こっているのがサバゲーであり
撃ち合いをしているのだから当然に
「仕方ない」
くらいに考えて楽しく遊ぶことに集中した方が勝ち組だと言いたい
最後に大好きな宮沢賢治さんが書き残してくれた詩を紹介してこの投稿の〆にしようと思う
最後まで読んでくれてありがとうございました
雨ニモマケズ
(現代語訳にしておいた)
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲はある
決して怒らず
いつもみんなと笑っている
一日遊び尽くすためにも
しっかりとご飯を食べ
お菓子も食べる
ゲームルールを
自分を勘定に入れずに よく見聞きし 分かり
そして忘れず
関西フィールドの至る所に朝早くから出没し
東に撃たれた仲間あれば 行って メディックしてやり
西に弾切れの友あれば 行って 弾薬分けてやり
南に独りで寂しい人あれば 行って 一緒にやらないかと言い
北に悪態や 罵倒があれば つまらないからやめろと言い
開始直後のヒットは 涙を流し
相手がゾンビでも自分は潔く死ぬ
みんなに変態と呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい
爆DAN